アメリカには”野球文学”や”野球映画”というジャンルが
確立されているが、東洋の野球大国である日本には存在しない。
そこが文化と広告の差なのだろう。
シーズン開幕近しということで東映チャンネルが野球映画特集
を今月はやっているし、チャンネルNECOはがんばれタブチくん
の一挙放送である。
(しかしこれほど開幕前に気分が盛り上がらないのはなんでや?)
そこで今回は、存在は知っていたが未見だった
「東映優勝背番号100」を見た。
内容は昭和29年に誕生した東映フライヤーズが昭和37年に
リーグ優勝を果たすまでの軌跡を追った作品であり、
フライヤーズ優勝時に劇場で流されたもの。
ちなみに背番号100とは優勝時に大川オーナーが着ていた
ユニフォームの番号だ。
フライヤーズと言えば「駒沢の暴れん坊」という異名でも知られる。
その暴れん坊たちの残像は、東映が球団経営から去った5年後に
一つの形になって再生される。
昭和53年、パリーグは連盟歌の歌詞を一般公募する。
ちなみに作曲と、詩の審査委員長は中村八大氏だ。
そこで選ばれた、歌詞がスポーツソング中最高の名曲
「白いボールのファンタジー」なのだ。
青空に輝くスタジアムで始まるこの歌は、作詞者の嶋田富士彦氏が
少年時代に観た駒沢の風景を思い起して書かれた作品なのだ。
この映画で垣間見える駒沢の風景は、超満員のスタンド。
後にフライヤーズは駒沢から神宮へ移転したが、ここで不可解な
追い出しがあり、フライヤーズそして後継球団のファイターズは
一昨年シーズン限りでの札幌移転まで、ダブルフランチャイズ球団
として埋没することになる。
昭和三十年代、間違いなく野球は娯楽産業のトップシートに
映画とともに君臨していた。
野球の凋落は、ここにあげた大川オーナー、
”ラッパ”の愛称で親しまれたオリオンズ永田オーナー、
ドラ息子程可愛いといって絶対に球団を売らなかった、
バファローズ上山オーナー、宝塚とブレーブスは阪急の宝と言い続けた
小林オーナー.......という本当に野球を愛してくれたオーナーが
球界を去ってしまったからだ。
宮内から、三木谷から、孫から
俺は”野球が好きだ”という情熱を感じることはできない。
この映画にある光景はプロ野球がプロ野球として存在できた
輝ける歴史のパッケージだ。
スポーツによるクローズドサーキットシステム
(最近ではパブリックビューイングというらしい。)
を日本でで最初に行ったのは1976年6/26の
アントニオ猪木VSモハメド・アリ戦のときが最初だと
思っていたが、なんとフライヤーズが行っていたことが
この映画でわかった。
ムービーカメラで撮影した試合を全国のスクリーンで、同時中継する
というもの。
映画屋の意地爆発である。