俺にとって、結城警視正であり佐原博士だった
中丸忠雄氏
ご冥福をお祈りいたします。
合掌..........。
俺にとって、結城警視正であり佐原博士だった
中丸忠雄氏
ご冥福をお祈りいたします。
合掌..........。
ネットでメビウス外伝アーマードダークネスを見る。
中国字幕つき。
で、見ながら思い立って俺的メビウスのベストエピソード
第34話 故郷(ふるさと)のない男と第41話 思い出の先生
を拾い上げて愛機にぶち込む。
ハングル字幕。
日本語オンリーのソースはネットの海に漂ってないようだ。
ヒカリサーガは字幕なしで流れてるのに。
俺はエースとレオと新マンとティガが大好きなので
34話は無条件にアリなんだが、41話は大して好きでもない
80編なのだ。
この回、本放送当時も言われていたが、メビウスの41話と言うよりも
80の51話とするほうがシックリくるんではないだろうか。
80がホーを倒すために登場したときに「俺たちのウルトラマンだ!」
ってセリフがあるんだけど、そう「俺たちのウルトラマン」ではあるんだけれど、
80って俺のウルトラマンではないんだな。
でも、子供なりに「それはないわ。」と思った本放送の最終回
(サブタイトルは「あっ! キリンも象も氷になった!!」だよ)
よりも、この方が最終回っぽい。
惜しむらくは、矢的猛の変身シーンが見られなかったこと。
新潮社の雑誌「旅」がソウルの地元飯特集。
で、読み進んで特集が終わった辺りのページに出てたのが
チュ・ジフン。
団地妻。
今日はコレに尽きるね。
この記事を読んで、俺はウワッ!!って思ったね。
まさかビーチバレーで、7色のユニフォームが甦るとは!!
こうなったらね、当時のフライヤーズが悪役気分を盛り上げるために、
西宮では黒を着てたという故事にちなんで、メディアの注目する
西堀・浅尾組戦や菅山・溝江組戦では黒水着で戦ってほしいね。
御大将っつたら風魔烈風じゃね?
って思う俺は、忍者キャプターが大好き。
本日ホームランを打った記念
LG정성훈の応援歌
안타 날려라 LG 정성훈
안타 날려라 LG 정성훈
날려라 날려라 날려라 날려라
무적 LG 정성훈
原曲はIt's a Small World
4月13日というのは、カープのエースだった福士明夫の命日。
ブログで今年も追悼文を書くかと思っていたら、別の訃報が飛び込んできた。
福士のことは、週末に書きます。
日本初のベースボール犬ミッキー君が亡くなった。
人間だと90歳を超える大往生。
数年前のカープにおいて、メディアがカープに注目するのは
ミッキー君が登場する試合だけだった。
デビューが遅かったので、現役も短かったけど、観衆をひきつける力、
グラウンドに出て懸命にボールを運ぶ姿勢は、ベンチにいた某選手や
某選手や某選手が見習うべきだと思っていた。
特に、ミッキー君がデビューした当時の監督。
亡くなったのは4月8日との事だが、ファンに訃報が届いたのは今日。
先にも記したが、福士明夫の命日である。
ミッキー君がデビューした後、某マガイモノ球団が
ベースボールモンキーを繰り出したが..........?
ミッキー君、君が登場した試合は、暗黒カープを明るくしてくれた、
本当にありがとう。
これからも、忘れないよ.........。
合掌...........
強いです。
本当に強いです。
ディープインパクトよりも強いんじゃないか?
もう、競走馬においては性差は問題では無いのかもしれません。
強いです。
本当に本当に強いです。
1950年代、カープファンの願いは、一つだった。
「夏でもカープはデーゲームやっとる、せめてナイターのできる球場があれば。」
この当時、カープが本拠地にしていた広島総合球場には、ナイター設備が
なく、炎天下の真夏でもカープの主催試合は、デーゲームを行っていた。
「ナイターができれば。」「ナイターがあれば、カープは勝てる。」
そういう考えが、広まっていた。
そして、1957年1月31日に待望のナイター照明つき球場の建設が
発表、同2月22日に着工となった。
同年7月24日。
全国3000万人のカープファンが待ちわびた「広島市民球場」が開場。
ナイター開きの、対戦相手はタイガースだった。
しかし、この試合“小さな大エース”と呼ばれた長谷川良平が先発したが
タイガースの猛攻に会い、15−1と大敗。
記念すべき第1戦を飾ることができなかった。
そして52年後...........。
2009年4月10、カープは老朽化した先代の市民球場から
新球場へと移転した。
2009年のシーズン7試合目、そして新広島市民球場:通称マツダスタジアム
での初試合。
相手はドラゴンズ。
マウンドには“青い目の赤いエース”ルイスが立っていた。
ところが...........。
エース、ルイスがあっという間に7失点。
終わってみれば、11−3の大敗。
歴史は繰り返されたのである。
今日観てて思った。
行きてぇ〜!!
来週の東京六大学開幕前に行われる、社会人との対抗戦。
三木均、目当てに行ってきましたよ。
バックネットの真ん中寄りが空いてたので、そこに陣取る。
前回、スポニチ大会では、登板がなかった三木だが
今日は果たして...........。
と思ってたら、3回からブルペンに入り、遂に登板!!!
俺もカメラを構えるってもんだ。
ニューヨークレンジャーズのジャージを着ていったので
もしかしたら、スカウトと間違えたかも。
とすると、声をかけたらタンパリングになるのか?
野球とホッケーでも適用されるのか???
写真は打席だけど、三木はピッチャーね。
このユニで、ラインと背番号が白かったら
キム・ドンジュやん。
三木均の写真は、某SNSにて公開してます。
※個人的にはこのユニフォームと同じ風合いの特パに
来年あたり育成で戻ったりして欲しくないです。
WBCの熱狂が終わり、先週は台湾の今週は日韓の
プロ野球がスタートしたわけだ。
4月に入り、なんとなく俺の中で
「今年の3月について、まとめておこうかな。」という思いが
浮かんできた、それは今年の3月の経験は、おそらく
二度と経験できないような、時間だと思ったからだ。
3月1日 中国代表vs埼玉西武ライオンズ
俺の、WBCは事実上ここからスタート。
マイミクのTさんと観戦。
この時に、酷評したL・チャンが、後に..........。
3月2日 韓国代表vs埼玉西武ライオンズ
って書くと行ったみたいだが、試合中は仕事。
現地組からのメールとニッカン速報で経過を追う。
思えば、マイミクのSさんはこの時すでに
キム・グァンヒョンの不調を指摘していたのだった。
3月3日 韓国代表vsヨミウリ
韓国代表、全くいいところが無く完封負け。
ポン・ジュングン発見できず。
俺の後ろの席に座っていたカープファンの方々や
ハンファファンの2人組と、会話したりして過ごす。
3月4日 WBCトークライブ
福田功の話に関心しきり。
もっと、長く話が聞きたかった。
3月6日 WBC第一ラウンドA組 韓国vs台湾
普段、滅多に入ることが無い、超良席で観戦。
マイミクのGさんに多謝。
イ・ジニョンの満塁HRにポン・ジュングンのホールド。
LGファンとしては言うことなし。
この勢いで、明日も!と思ったが.......。
和民で軽く飲み。
イ・デホのバッティングスタイルが、実は柔らかくて
全盛期のノリみたいに感じる。
と言った話と二宮清純を批判した事は覚えてる。
3月7日 WBC第一ラウンドA組 中国vs台湾&日本vs韓国
中国代表のL・チャンの確変により、中国勝利。
日曜に酷評して「使えねぇなコイツ。」などと言っていたんだが
まさかの、大活躍である。
第二試合までのインターミッションの間に観戦組で飯。
マーボー定食があまりに出てこなかったので、3杯飯で止める。
もっと早ければ、もっと喰えてた。
残念なのは、王将満席。
第二試合、壊れたゲームだったがキム・テギュンの
看板直撃弾の斜め下に居たことは、誇れる。
周りはほとんど韓国人という感じだったので、蚕室に
いるような錯覚を覚える。
試合後、駅が混んでいたので和民で少しクールダウン。
インチョンでの開幕戦観戦を狙うYさんに、モクトンの良さを力説。
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へぇ~、結局ホームランでしか
(2試合でタイムリーはラミレスの1本だけ。)
点が取れない打線だからね。
単発のホームランは案外怖くない。
ま、今日はカープもホームランのみの得点だったが......。
エースを開幕に立てて、敗れたLG。
今シーズンも苦難が続くのか.........。