ついに週刊ファイトが、休刊を決定した。
夏前からヤヴァイというウワサは耳にしていた
けれども、現実になってしまった。
理由に「活字メディアの衰退とマット界の沈滞」
ということだ。

たしかに、最近は(プロレス週刊誌もそうだが。)
コンビニで見かけなくなったり、取り扱いのない
駅も増えていた。
しかも、情報の受け手はネットで簡単に情報が引き出せる時代。
ファイトの休刊はその時代性と無関係ではない。
でも、さ、プロレスって本来間合いや駆け引きを楽しんだり
するもんじゃん。
それには、後追いでもじっくり読める活字メディアが実に
有用だったわけ。
それに、そういうことの積み重ねかが1ファンから見巧者への
階段を上るプロセスだみたいな部分はあったわけだよね。
でも、新興格闘イベントに併せて、この10年近く、きちんとした
プロレスを捨ててきたのは、プロレス自身だったんだな。
俺自身、馬場さんが「シューティングを超えたものがプロレスだよ。」
という言葉に対して、オンタイムでは、スゲぇ反発があったけれども
今となっちゃあ、素直に馬場さんの言葉を聞き入れなかった自分が
恥ずかしく思う。
で結局、プロレス関係はだれも「Kを超えたのがプロレス」
とか「Pを超えたのがプロレス」とは言わなかった。
逆にすり寄っていって、プロレスの持つ神話性を完全に捨て去った。
オレは、なんとなくプロレスとの距離を取り始めた。
KとかPとかって、わかりやすいだけで、後がネエじゃん。

かつてのプロレスは、正直わかりにくかったが、それを補完するために
”活字のプロレス”というファンに対するいわばセーフティネットが
張られていた。
人によっては週刊ゴングかも知れないし、村松友視かも知れないし
夢枕漠だったかもしれない。
でも、その”活字プロレス”の中心にいたのは、ファイトのI編集長
だったわけでね。

ファイトだって何年も読んでないけれども、
プロレスを支えていた最後の何かが崩れた感じだ。