8.8といえば横浜文化体育館で行われた、
アントニオ猪木VS藤波辰巳だ。
いまから、19年前。
正式には、藤波がIWGP王者だったので、藤波vs猪木だ。
60分1本勝負。
この試合の前段は4ヶ月前の4.22沖縄・奥武山大会に遡る。
詳しく書いても良いんだけれども、このブログを読んでる人は
脳内再生出来る人たちが、多いので触れない。
書いておくのはこの時、藤波が要求したベイダー戦は
1週間後、大阪にて実現している。
そしてこの沖縄から、藤波の「飛龍革命」が始まるのである。
革命の途上、至宝であるIWGP王座を手に入れた藤波は
革命最終章として、師匠・猪木の待つ横浜のリングにたったのである。
TVは「猪木引退」を見込んで、ゴールデンでの生放送。
しかし、結果は............。
60分フルタイムの引き分け。
しかも、当時のプロレスではレアケースのノーフォールでの決着である。
この試合の前、7.22には藤波のライバルであった長州が猪木から
3カウントを奪っている。
それだけに、この60分引き分けという結果に俺の頭はズーンと
重いモノが走ったわけだ。

「神が見えた」
この年の10.30鈴鹿でチームメイトのA・プロストを破り、
初めてF1チャンピオンとなったA・セナはレース後、そう語った。

しかし、飛龍革命が引き分けに終り、日本GPの約2週間前に行われた
プロ野球の、いわゆる”10.19”オリオンズVSバファローズの
ダブルヘッダー川崎決戦の第2試合が引き分けで終り、バファローズが
優勝を逃した後だった俺には
セナのコメントに対して「神なんていなんんだよ。」
と毒づくしかなかったのである。