その日ヤフトピには「元巨人軍投手麻雀店で死亡。」
と書かれていた。
記事を見るまで、まさか、あの人だとは思わなかった。
その人の名は福士敬章。
元広島カープのエースである。
たしかに、福士はG出身(当時は松原明夫)であるがプロ野球選手としての
キャリアハイはカープ在籍時のもの。
もっと書き方があるんじゃないか?

2000年カープ50周年メモリアルの際にも、往年の名選手が
始球式を行う中、福士だけがいなかった.......。

その後、全く消息が知れないままの福士の訃報。
唖然とするしかなかった。
しかも、麻雀屋のソファでの急死。
いったい何が起こったんや??????
それしか浮かばなかった。

チャン・ミョンブ1








1983年、カープでのキャリアを終えて、
福士は創設2年目の韓国プロ野球へ。

韓国リーグへ身を投じた在日選手達のドキュメントが、
関川夏央の書いた「海峡を超えたホームラン」であり、
俺はこの本を読んで、 韓国と韓国野球が気になりはじめた。
もし、この本の主役がチャン・ミョンブに1年遅れて
参戦した元ジャイアンツ新浦壽夫だったら、俺はこの本
を手に取らなかっただろうし、韓国も韓国野球も
興味の対象外だったと思う。
先発、抑えの区別なく100試合60試合に登板した
チャン・ミョンブは、翌年から登板過多がたたり
思うように 勝てなくなり、事実上の現役最終年となった
1986年は わずかに1勝18敗という破天荒な記録を
残している。
(それ以外にも1イニング最多失点16という記録もある。)
その後、サムソン・ライオンズやロッテ・ジャイアンツで
コーチを務めたのだが覚醒剤を使用したことで逮捕されて、
国外追放処分。
韓国球界からも永久追放された。 

チャン・ミョンブ2






和歌山の雀荘で孤独に死を迎えた時、
何が頭に浮かんだのだろう?
ひとつ言えることは、
俺は松原明夫も福士明夫も福士敬章も
チャン・ミョンブも忘れないということだ。

あのシーンですね。






懐かしい映像も発見。

現在は大阪天王寺区にある、一心寺に眠っているらしい。

張明夫よ..........。







改めて合掌。


追記:タイトル改題及び写真を一枚追加。(2008.4.17)