あの、10.19の激闘から20周年。
俺は久しぶりに、川崎球場を訪れた。
すでに、正面ゲートも無い






正面ゲートやチケットブースが撤去されて、正面の広場は
時間貸し駐車場へ。
かつての球場の威風はなにもない。

ライトの照明塔、スタンドが無くなっている。







スタンドが撤去されて、架設スタンドと芝生席となった現在、
ライトスタンドの照明塔はもう、邪魔者扱いされないで済むのだ。
照明塔の下では、チアガールが練習中だった。
ライト方向から正面に戻る際に、某マイミクさんとバッタリ!!

激戦を刻んだバックスクリーンも無い






かつて、スコアボードがあった場所。
20年前はまだ、デジタルじゃなくて手動だったんだよな。
スコアボードが電子化されたのは平成3年の事。

この日もそうだったが、現在の川崎球場はアメフトがメイン。
それ以外に、フットサルやJリーグ川崎のサッカー教室が
行われている。
かつては、オリオンズと首都大学リーグのメイン球場の
感じがしたものだが、野球で使われるのは、一般貸し出しの
軟式野球だけである。
サイトには「マウンドはありません。」
とあるから、すでに「野球場」ですらないのだ、川崎球場は。
正面ゲートもスタンドも(ま、スタンドの老朽化が閉鎖の原因だから。)
なくなり、往時を偲ばせるものは、照明塔だけか。

あの日の、歓声や怒号や悲鳴もすべて歴史のかなたに
消えていってしまったようだ。

あれから、20年、社会で記憶の風化のサイクルが速まる中でも
俺が10.19を忘れる事はない。
結局、今でもプロ野球を見続けているのは、10.19を観たということが
源泉の一つになっているからだ。
王者としバファローズの前に立ちはだかったライオンズ。
どんな状況であれ、プロの無い恥じないゲームを行った
オリオンズナイン(←ここ大事)
そして、主役であるバファローズ。

20年前、今は贖罪の日を送るあの男が、マウンドから1球を
投じた瞬間、すべては始まったのだ。

ただ、それが単なるゲームではなく、野球のいや、
スポーツの歴史に残る激闘になるとは誰も思わなかった。

それは野球の神の気まぐれだったのか?
それとも、確固たる意思だったのか?